◆香川県の人◆
「タキシードはオヤジが着るものでしょ」「難しそうでよく分からん」というのが私の率直な印象です。一般人には馴染が薄いこの分野の専門店として、数多くの芸能人やテレビ番組や雑誌に衣装提供をし、この分野で確たる地位を築きつつある「RossoNero」の横山さん。普段なかなかお聞きできないパーソナリティに迫っていきたいと思います。
即將登場的是生於高松,目前於東京南青山的燕尾服專賣店「RossoNero」工作的橫山先生。
對一般人而言,燕尾服專賣店是一個較於陌生的領域。但您可能不知道他卻是提供很多藝人和電視節目、雜誌服飾的地方。橫山先生能在這個領域建立起一定的地位,想必您大概可以猜到他是一個怎麼樣的人了吧!
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山:それでは早速よろしくお願いします。まず、生まれと育ちについて教えてください。(那我們這就開始吧。首先,能請您跟我說一下您是在哪裡生,然後又是在哪裡長大的嗎?)
横山さん(以下、横):生まれも育ちも香川県の高松市です。大学は4年間富山県過ごし、35歳から東京に住んでいます。
橫山先生(之後以「橫」略稱):我是在香川縣高松市土生土長的。在那之後,大學四年到富山縣,35歲搬到東京來住。)
山:香川県と高松市を宣伝するとどういう感じですか
如果要宣傳香山縣和高松市的話,您覺得要如何宣傳呢?
横:香川県は讃岐うどんが名物で、うどんのおいしさは世界一です。瀬戸内海に囲まれて温暖で温かいし、住んでいる人も温かいと思います。そして、日本一の商店街があります。他には、骨付鶏は本当においしくて、第二の名物と言っても良いと思います。
香川縣的讚岐烏龍麵不但是當地的名產,更是世界上最好吃的烏龍麵。香川縣的四周因環瀨戶內海的緣故,當地的氣候相當溫和,當地居民也非常熱情。除此之外,當地還有日本第一的商店街。另外,那邊的雞排非常好吃,可說是當地的第二名產。
山:家族構成を教えてください。
請問您家有多少人呢?
横:私は5人兄弟の2番目で長男です。今は、妻と中学1年生の息子が一人いて、東京に単身赴任中です。
我有五個兄弟姊妹。在那之中,我排名第二,是長子。現在的話,我有個太太和就讀小學一年級的兒子。而我一個人在東京工作。
山:大家族で育った横山さんは、どういう子供でしたか
在這樣一個大家庭長大的您,小時候是個怎麼樣的孩子呢?
横:おとなしくて真面目。そして、どちらかというと人見知りする子供でした
我小的時候,非常成熟、認真。如果一定要說的話,我想我是個非常怕生的孩子。
山:今では全く想像もつかない(笑)。
哈哈哈,現在完全無法想像呢!
横:自分では、今も人見知りする方だと思ってるんですけど
是嗎?我到現在還是覺得我是個怕生的人呢!
山:人見知りを改善したのは、何かきっかけがあるんですか?
是在一個什麼樣的契機下,讓您改善了這怕生的個性呢?
横:33歳の時(2007年)、JC(青年会議所)のアジア太平洋エリアのメンバーが集まる大会(ASPAC/Asia Pacific Area Conference)が高松で開催されたんですが、その時に事務総長という事務方の総責任者をやったのが大きいと思います。
我33歲那年(2007年),高松曾舉辦了JC(青年會議所)亞洲環太平洋地區大會(ASPAC/Asia Pacific Area Conference)。當時我擔任事務總長,也就是事務職的總負責人。我想那是一個很大的契機。
山:なるほど。ある意味、場慣れしたってことでしょうかね。
原來如此。在某種意義上,是隨著環境變化而改變的對吧?
横:開催まで、トラブルや課題ばかりの毎日でしたが、人前で色々やらざるを得ない場に身を置いたあの経験は非常に大きかったと思います。
在大會的準備期間,每天都有各式各樣的問題發生。當時,我常陷入一些身不由己的困境,而這些經驗對我影響非常深。
山:ちなみに学生時代はどんなことをやっていたのですか。
順便想請教您一下,您在學生時期都在做些什麼呢?
横:中学・高校はハンドボールをやっていて、いずれもキャプテンでした。中学3年生の時は全国でベスト8になりました(その時の相手チームには、陸上短距離界のエースだった朝原選手がいたんだそうな)。大学は、体育会の基礎スキー部に所属し、団体戦で全国4位になりました。
國中跟高中時,我曾參加過手球隊,兩次都是隊長。國中三年級還得過全國第八名(那時的對戰隊伍裡,好像還有陸上短跑戰將朝原選手的樣子)。大學時,參加體育會的基礎滑雪部,團體戰時得到全國第四名
山:雪が無い高松出身っていうことは、スキーは初心者から始めたってことですか?
在不會下雪的高松出生的您,當事是從頭開始學的嗎?
横:はい。雪を知らずに育ったので、雪国ならではのスポーツをやりたいと思って入部したのですが、1年生の4月に入部して、ゲレンデデビューが11月。それまでは、週3日ほど筋トレとかひたすら陸上でのトレーニングばかりでした。
是的。因為是在不會下雪的地區長大的,所以想知道在會下雪的地方的運動是什麼樣子才加入的。我是在大學一年級的四月加入的。第一次滑雪是在那年的十一月。在那之前,每星期大約三天,從早到晚都在做肌肉訓練跟陸上特訓。
山:雪に憧れて入部したのに、半年もよくガマンできましたね。
一開始是因為對雪的嚮往而入社的,才短短半年的時間就會滑雪了啊!
横:何でもそうですが、成果を出すには地道な裏付けが必要じゃないですか?もともとスポーツをやっていたせいか、それが当たり前と思ってるところがあるのか、さほど苦にはならなかったですかね。
做什麼都是這樣的。如果想要有所成就,就必須紮紮實實的打基礎不是嗎?可能是原本就常做運動吧,總覺得這是理所當然的,完全不覺得辛苦。
山:確かに。成果が約束されていない不確かなことに対して、継続できるかどうかは何にでも共通する秘訣ですよね。それはそうと、運動神経がいいからゲレンデデビューは華々しく?
的確。比起不能確定的結果,持續的努力才是成就任何事情的祕訣。這樣說起來,像您運動神經那麼發達,第一次滑雪應該非常成功吧?
横:いや、全然ダメでした。板が滑るという初めての感覚についていけず、悲惨なデビューでした(笑)。ホント全くダメ。
才沒有呢,完全不行。哈哈哈!第一次滑雪,因為無法抓到操縱滑雪板的感覺,非常悽慘。真的是完全不行!
山:話は変わるのですが、学生時代はどういう将来ビジョンをお考えで?
稍微改變一下話題。請問您學生時期,覺得您未來有著怎麼樣的前景呢?
横:何も考えてなかったですねー。学生時代はスキーとバイトに明け暮れてましたし、ただ漠然と「大学を出て、いい会社に入って、世界を股にかけるサラリーマンになりたいな」っていう、誰もが思い描きそうなことを普通に考えていただけです。
其實完全沒想過唉!我還是學生時,從早到晚都在滑雪跟打工,只有在心裡默默地想著:「大學畢業後要進入好的公司,成為國際人才。」就是那種大家都會幻想擁有的,普通的前景而已。
山:はぁ。。。それは意外ですね。てっきり、今のビジネスに通じるようなことを考えていたのかと。でも、大学卒業後は通販大手のセシール(現ディノス・セシール)に就職されていますが、それは今のアパレル関連を視野に入れて?
是喔...真是意外。我還以為是跟您現在的工作有所相關的前景呢!不過,您大學畢業後曾在郵購大企業「塞希爾」工作,是這使您開始關注服飾等相關資訊的開端嗎?
横:いや、全然(笑)
哈哈哈!完全不是。
山:じゃあ、セシールは高松が本社だから育った高松にUターンしたということですか。這樣的話,是因為塞希爾的本公司在高松,所以您剛好藉由這機會返鄉發展的嗎?
横:いや、そんなことも全く考えてなくて、たまたま高松の会社になっただけです。
不是,完全沒考慮那麼多,只是碰巧塞希爾是高松的公司罷了。
山:横山さん、基本的にノープランなんですね。。。
橫山先生,基本上您完全沒規劃嘛...
横:実は、就職活動の結果、セシールの他に北陸地方の大手企業に内定をもらったんですが、さぁどっちにしようかと考えたんですよ。
其實,在找工作時,還收到了來自北陸大公司的聘書。對於要去哪家公司,我考慮了很多。
山:ほぉ。咳?
横:その時、気候が温暖な高松と日本海側で気候不順な北陸だとどっちがいいかなー、という二択の結果、高松に決めました。
那個時候,氣候溫暖的高松,跟靠日本海氣候不穩的北陸,二選一的結果,我選擇了高松。
山:じゃあ、北陸の企業を選んでいたら、今の横山さんはいなかったかも?
這麼說來,如果當時您選擇了北陸的那家公司的話,就沒有現在的您了,對吧?
横:ホント、そうだと思いますよ。強いて言うなら、実家が自営で縫製工場をやっているので、自営業の大変さを見ながら育ったからか、とにかく仕事には安定性を求めていたのはありました。だから大企業に入りたい願望は人一倍ありましたね。
真的!我也這麼覺得。因為我家是開縫紉工場的,在這樣環境下長大的我,深知自己家開公司是多麼辛苦的一件事。所以在找工作時,以安穩為前提,想進大公司的慾望比誰都強烈。
山:え?なのに、今横山さんは自営(笑)?
唉?既然如此,現在依然是自己開店?
横:はい(笑)
哈哈!是的。
山:さすが、ノープランナー(笑)!
果然是毫無計畫的人啊!
(明日につづく)
(明天待續)
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